一宇山(読み)いちうやま

日本歴史地名大系 「一宇山」の解説

一宇山
いちうやま

[現在地名]一宇村 一宇・赤松あかまつ中横なかよこ寺地てらじ大横おおよこ木地屋きじや切越きりこし十家といえ久藪ひさやぶ九藤中くどうじゆう大野おおの子安こやす太刀之本たちのもとかげ剪宇きりう樫地かしじ伊良原いらはら河内かわち大佐古おおざこ中野なかの川又かわまた奥大野おくおおの実平さねひら広沢ひろさわ葛籠つづろ桑平くわだいら漆野瀬うるしのせ法正ほうしよう平井ひらいたいら臼木うすき漆日浦うるしびうら大屋内おおやうち出羽いずりは白井しろい明谷みようだに

貞光さだみつ川上流(一宇川ともよぶ)の流域に展開し、西方の石堂いしどう(一六三六メートル)矢筈やはず(一八四八・五メートル)、南方の丸笹まるざさ(一七一一・六メートル)赤帽子あかぼうし(一六一一・四メートル)、東方の八面はちめん(一三一二・三メートル)など、山々に取囲まれた典型的な山村である。集落は貞光川および同川支流の剪宇谷きりうだに川・かた川・明谷川・桑平谷くわだいらだに川などの川沿いや山腹に点在する。北は東西のはば(現貞光町)半田奥はんだおく(現半田町)、西から南は祖谷いや山東分(現東祖谷山村)、南東は麻植おえ木屋平こやだいら(現木屋平村)、東は半平はんだいら(現穴吹町)。一宇は櫟生とも書いたが(「阿波志」など)、その由来については地内に多く自生する石櫟いちいがしの木(方言でイッチュウの木ともいう)にちなむという説(美馬郡郷土誌)、一軒屋の意とする説(粟の落穂)、南北朝期に当地が南朝方に忠勤を励んだことから一忠の字を賜り、のちに一宇となったとする説(一宇村史)などの諸説があり、地元では「いっちゅう」と発音する。

市原本「祖谷山旧記」や「祖谷山之記」などによれば、南北朝期に朽田くちた(現阿波町)の地頭職を得て一帯に勢力を振るっていた小野寺氏は、天正年中(一五七三―九二)備中守維義の代に土佐の長宗我部元親の侵攻にあって敗れ、当地に引籠ったという。天正一三年蜂須賀家政の阿波入部に際して岩倉いわくら山・曾江そえ(現脇町)の住人が家政に背いたとき、維義の子小野寺源六(長子)は弟の六郎三郎(次子)ほか一族を召連れてこれを押え、その功により一宇山で高一〇〇石余を与えられたという。また同じく家政の阿波入部に際して長宗我部氏に通じる祖谷山の名主たちが一揆を結んで抗したときも、源六・八蔵父子、六郎三郎・安右衛門父子らがこれを討ち、以後源六は当地一宇に居を構えて土佐に備え、六郎三郎は祖谷山において一山を支配したという。なおのちに源六の家系は南氏、六郎三郎の家系は喜多氏、一宇山政所に任じられて剪宇に住した孫六郎(維義の三男)の系統は谷氏を名乗り、当村の庄屋は初め谷氏、のち南氏や西岡氏が勤めたという(「一宇村史」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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