日本歴史地名大系 「義農作兵衛墓」の解説 義農作兵衛墓ぎのうさくべえのはか 愛媛県:伊予郡松前町筒井村義農作兵衛墓[現在地名]松前町筒井享保一七年(一七三二)夏から秋にかけて伊予松山藩の領内は大飢饉に襲われた。長雨による石手(いして)川・重信(しげのぶ)川など河川の氾濫と、ウンカの発生のためである。領内の餓死者は三千四八九人(幕府への届書)でとくに城下周辺の農村の被害がはなはだしかった。筒井(つつい)村百姓作兵衛は、飢えに苦しみながら、明年度の播種のために蓄えの麦種を枕にして餓死した。世人はこれを義農とたたえた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by