日本歴史地名大系 「羽屋村」の解説 羽屋村はやむら 大分県:大分市旧大分市地区羽屋村[現在地名]大分市羽屋上野丘(うえのがおか)台地の南側、古国府(ふるごう)村の西に位置する。条里の遺構の残る大分川左岸にあり、北は太平寺(たいへいじ)村。古国府から当地にかけて豊後国府があったと推定されている。正保郷帳に村名がみえ田高五五四石余・畑高一一一石余、荏隈(えのくま)郷に所属。領主の変遷は駄原(だのはる)村に同じで、里郷古国府組。「雉城雑誌」によると、当地に大友氏の別荘花圃の跡があったと伝える。大分川河畔近くの自然堤防上に字花園(はなぞの)がある。農間余業として塩の振売が盛んで、宝永五年(一七〇八)には一六人が竹田・臼杵(うすき)・佐伯(さいき)、朽網(くたみ)(現久住町・直入町)・大龍(おおたつ)(現庄内町)・野津原(のつはる)(現野津原町)・横灘(よこなだ)(現別府市)、肥後阿蘇などに出かけている(府内藩日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報