日本歴史地名大系 「羽束郷」の解説
羽束郷
はつかしごう
羽束郷
はつかしごう
「和名抄」高山寺本は「波津加之」と訓じ、「本用羽束志三字」と記す。刊本は「波豆賀之」と訓ず。
正倉院文書の奴婢帳のうち、天平勝宝元年(七四九)一一月三日付大宅朝臣可是麻呂貢賤解に「奴雲足手十四 一人 山背国羽束里戸主長岡坂本国麻呂戸口」とある。また「愚昧記」嘉応二年巻裏文書の長元二年(一〇二九)二月二二日付大法師深幸解案には、
とあって、「羽津加志下村」が郷内に形成されていたらしく、なおその中に川合里も確認できる。
郷名を負う
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報