羽瀬石村
はぜいしむら
[現在地名]本宮町岩根
苗代田村の西に位置し、南部を五百川が東流、東部を矢沢川が南流して五百川に合流する。北西部は山地が連なり、南部は平坦で耕地。灌漑用水の多くは、元和八年(一六二二)開設の日影沢堰に依存(本宮地方史)。東西に二本松街道(会津街道)が通ずる。村名は旅人の急ぎ走り行く意味の走井に由来するという(相生集)。字小山にある中世の羽瀬石館跡は伊東伯耆の居館という(同書)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には「弾石」とみえ、高一四二石余。寛文八年(一六六八)検地があった(「二本松藩庁事弁録」二本松市史)。延享二年(一七四五)の郷村高辻帳(同書)でも一四二石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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