20世紀日本人名事典 「羽生三七」の解説
羽生 三七
ハニュウ サンシチ
- 生年
- 明治37(1904)年1月13日
- 没年
- 昭和60(1985)年12月30日
- 出生地
- 長野県下伊那郡鼎村(現・鼎町)
- 学歴〔年〕
- 松濤義塾
- 経歴
- 山川均の指導を受け、大正11年秋、下伊那自由青年連盟を結成、機関誌「第一線」を発行、以後、社会主義運動や青年運動を続けた。13年長野青年共産党事件で検挙され、治安警察法違反で禁固4ケ月に処せられる。のち政治研究会、労働農民党に参加。昭和7年鼎村村議となり、10年社会大衆党から長野県議。のち国民運動研究会、昭和研究会に参加。戦後、20年社会党結党に参加。21年鼎村長に当選。22年4月第1回参院選挙に長野地方区から社会党公認で当選。以来連続5期トップ当選を続けたが、52年に政界を引退した。非武装中立論、日ソ国交回復促進など外交、防衛問題の論客として鳴らした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報