羽苅村(読み)はかりむら

日本歴史地名大系 「羽苅村」の解説

羽苅村
はかりむら

[現在地名]足利羽刈町はかりちよう

矢場やば川が袋状に大きく蛇行する北側の平地に位置し、対岸は上野国邑楽おうら中野なかの村・藤川ふじかわ村・秋妻あきづま(現群馬県邑楽郡邑楽町)、東は小曾根おぞね村。足利と上野館林を結ぶ往還北西から南東へ縦断する。羽刈とも記す。古くは上州上境原といったが、永禄一二年(一五六九)内村玄蕃頭正経が三河より参着、鷲を射てその左翼を得たことから、翌元亀元年(一五七〇)羽刈村と称したという(地誌取調)。文明一五年(一四八三)二月日の鑁阿寺仏事銭請取注文案(鑁阿寺文書)によると、鑁阿ばんな寺の六月八日護摩堂殿御迎膳の用途二貫一五〇文を「葉茗郷納所」が負担しているが、これは葉苅郷のことであろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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