鑁阿(読み)ばんな

改訂新版 世界大百科事典 「鑁阿」の意味・わかりやすい解説

鑁阿 (ばんな)
生没年:?-1207(承元1)

平安末期・鎌倉初期の真言宗の僧。高野山勧進聖として活動した盲目僧。〈ばんあ〉とも読む。1186年(文治2)後白河上皇に働きかけて高野山根本大塔長日不断両界大法用途料として備後大田荘寄進を得,90年(建久1)みずから置文(おきぶみ)を定めて荘務経営に携わった。以後大田荘は中世を通じて高野山のもっとも重要な財源の一つとなった。92年に彼が下した下文には,荘官・百姓勧農に励み,年貢を荘園領主に支払うことがみずからの現世安穏・後生善処を保障されることにもつながると述べられ,中世宗教領主の荘園支配の方式を示す興味深い事例となっている。晩年には和泉国荒野の開発も行った。大田荘の経営は,鑁阿一代の間は彼による請負の形で行われたが,彼の死後は高野山寺僧による知行となった。なお,彼を足利鑁阿寺の開基である足利義兼と同一人物であるとする説もあるが,確証はない。
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朝日日本歴史人物事典 「鑁阿」の解説

鑁阿

没年:承元1頃(1207)
生年:生年不詳
平安・鎌倉時代前期の真言宗の僧。高野山を活動の中心とし,実践に重きをおく盲目の勧進聖で,法華経の持経者。寿永2(1183)年,蓮華王院から弘法大師真筆の曼荼羅を借り受け,高野山根本大塔で供養法を行い,伊勢神宮,石清水八幡宮,高野山鎮守天野社,河内国(大阪府)善成寺などでも供養法を行っている。文治2(1186)年高野山根本大塔で行う金剛・胎蔵両部大法用途料として,後白河法皇から備後国(広島県)大田庄が寄進され,以後大田庄の経営に辣腕をふるう。源平の内乱以来の下司の非法を停止させるとともに,荒野の如く荒廃した田畠を復興させるため,下司に段別2升の所当米,公文に人別1町の給田,百姓に莚付米などを免除している。建久5(1194)年,復興なった大田庄の庄務を高野山に付すとともに,庄務の在り方について定め置き,翌6年庄官百姓らに宛てた下文のなかで,寺家と民を愍み・仰ぐ関係と定め,長く大田庄支配の中心的理念として存続した。<参考文献>吉良国光「荘園制的支配の性格とその変質」(『九州史学』59号),瀬野精一郎編『備後国大田荘史料1』

(吉良国光)

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百科事典マイペディア 「鑁阿」の意味・わかりやすい解説

鑁阿【ばんな】

〈ばんあ〉とも。平安末期から鎌倉初期の真言宗の僧。高野法華房ともよばれ,高野山(こうやさん)の勧進聖(かんじんひじり)として活躍した。鑁阿の後白河(ごしらかわ)法皇への働きかけにより,播磨国福井荘,備後国大田荘が高野山に寄進され,鑁阿みずから大田荘の荘務経営を行っている。晩年には和泉国の荒野を開発した。

鑁阿【ばんあ】

鑁阿(ばんな)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鑁阿」の意味・わかりやすい解説

鑁阿
ばんな
(?―1207)

平安末期から鎌倉前期に勧進上人(かんじんしょうにん)として活動した真言宗の僧。「鑁阿(ばんあ)」とも読む。法華(ほっけ)房ともいう。1183年(寿永2)10月に高野山(こうやさん)大塔再建を後白河院に願って許され、治承・寿永の内乱終息過程の1186年(文治2)5月頃から急速に実現させた。院より旧平家領備後国(びんごのくに)大田荘の寄進を得、院の起請(きしょう)を根拠に、大塔で平和祈願の修法を全山で行う体制を敷いた。一方、大田荘荘民らの年貢納入の実否と現世安穏・堕地獄とを関連づけるなど、宗教領主独特の支配方式に手腕をみせた。後白河院の終戦工作・戦後処理策と密接して行った仏法再興実務は、秩序回復時点で高野山寺家(じけ)に継承された。のち和泉国(いずみのくに)の荒野開発も試みた。下野国(しもつけのくに)鑁阿寺の開基足利義兼(よしかね)(法号鑁阿)とは別人。

[上川通夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鑁阿」の解説

鑁阿 ばんな

?-1207 平安後期-鎌倉時代の僧。
真言宗。高野山の盲目の勧進聖(かんじんひじり)。文治(ぶんじ)2年(1186)後白河上皇から旧平家領の備後(びんご)(広島県)大田荘の寄進をうけて経営にあたる。以後大田荘は中世を通じて高野山の重要な財源のひとつとなった。承元(じょうげん)元年死去。通称は高野法華房。名は「ばんあ」ともよむ。

鑁阿 ばんあ

ばんな

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世界大百科事典(旧版)内の鑁阿の言及

【大田荘】より

…大田荘は平安末期の内乱がほぼ大勢を決した86年(文治2)に後白河院から高野山へ寄進され,以後その解体にいたるまで高野山領として存続した。高野山による荘園制支配を主導した僧鑁阿(ばんな)は,内乱に乗じて全荘を私領のごとくなしたといわれる下司橘兼隆・光家の跳梁に苦しみながらも,90年(建久1)の置文によって荘務の基礎を固めていった。この時把握された見作田は613町6反60歩に及んでいる。…

※「鑁阿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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