日本歴史地名大系 「羽鳥庄」の解説 羽鳥庄はとりのしよう 静岡県:浜松市旧長上郡・豊田郡地区羽鳥村羽鳥庄天竜川右岸、豊田(とよだ)川流域の現浜松市豊西(とよにし)町・貴平(きへい)町・恒武(つねたけ)町・豊(ゆたか)町・常光(じようこう)町一帯に比定される京都新熊野(いまくまの)社領庄園。貴平郷・恒武郷などで構成されていた。嘉応三年(一一七一)二月日の池田庄立券状写(松尾大社文書)の四至示に「壱所乾中村壱坪羽鳥庄与美薗御厨境」、脇示に「壱本北富田一里弐坪羽鳥庄境北中心」とみえ、池田(いけだ)庄の北西部が当庄と境を接し、美薗(みその)御厨とは当庄の北東部が境を接した。境界域では耕地が錯綜していたと思われる。養和元年(一一八一)一二月八日、後白河天皇は当庄を含む新熊野社の諸国庄園二八ヵ所に対し、一国平均役を免除している(「後白河院庁下文案」新熊野神社文書)。文保元年(一三一七)一二月八日には当庄上方年貢四五貫文が延暦寺に納められており(「延暦寺納所年貢請状写」令旨等古案雑々)、鎌倉末期には一部が延暦寺領になっていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by