日本歴史地名大系 「羽鳥村」の解説
羽鳥村
はとりむら
恒武村の北、豊田川流域に位置。豊田郡に属し、堤防に沿い細長い。中世には一帯に羽鳥庄が成立していた。松平忠頼領郷村帳では高四〇〇石余、田一五町二反余・畑三七町四反余、ほか諏訪領一石余、見成院(現源長院)領四石余。正保郷帳では高三三三石余、内訳は田一三九石余・畑一八八石余のほか、寺社領五石余。領主の変遷は
羽鳥村
はとりむら
- 神奈川県:藤沢市
- 羽鳥村
旗本八屋領から寛永一〇年(一六三三)幕府直轄領。延享元年(一七四四)上野前橋藩領、文化八年(一八一一)旗本小笠原領。検地は天正一九年(一五九一)代官彦坂元正、寛文一二年(一六七二)同成瀬重治が実施。寛永一三年正月の田畠指出帳(藤沢市史一)によれば二三町一反余、高一三八石余であるが、寛文一二年四月の検地帳(三觜文書)では二四〇石余と増加している。元禄七年(一六九四)三月の藤沢宿助郷帳(県史九)では定助郷二四〇石を勤めた。
元和八年(一六二二)五月の草刈訴状(藤沢市史一)によると、総百姓は藤沢代官によって「藤沢之内にいの原」の草刈を禁ぜられたとして、退転覚悟で訴えを起こしている。
羽鳥村
はとりむら
羽鳥村
はどりむら
羽鳥村
はとりむら
羽鳥村
はとりむら
羽鳥村
はとりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報