20世紀日本人名事典 「羽鳥重郎」の解説 羽鳥 重郎ハトリ ジュウロウ 明治〜昭和期の内科医 台北市稲江医院長。 生年明治4年1月16日(1871年) 没年昭和32(1957)年3月24日 出生地群馬県 別名号=眠鰐 学歴〔年〕帝国大学選科 経歴23歳の時に医術開業試験を受けて合格。はじめ日本郵船の船医を務めるが、のち台湾に移り、基隆港の検疫医官となった。流行病や風土病の系統的な調査・研究に従事し、台湾における恙虫病を発見、その防止に力を尽くした。その後、台北市稲江医院長などを歴任。著書に「台湾通俗衛生」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「羽鳥重郎」の解説 羽鳥重郎 はとり-じゅうろう 1871-1957 明治-昭和時代の内科医。明治4年1月16日生まれ。帝国大学選科でまなぶ。23歳で医術開業試験に合格。日本郵船の船医をへて,基隆港(キールンこう)検疫医官となり,台湾の恙虫(つつがむし)病を発見し,風土病の防止につとめる。台湾総督府医院長。昭和32年3月24日死去。86歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。号は眠鰐(みんがく)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例