キールン(読み)きーるん

改訂新版 世界大百科事典 「キールン」の意味・わかりやすい解説

キールン (基隆)
Keelung
Jī lóng

台湾北部にある国際港。人口39万(2002)。南部の高雄港とともに台湾の代表的港湾都市。もと鶏籠と称せられていたが,1875年(光緒1)に清朝政府によって〈基地昌隆〉の意をこめられて基隆と改名された。港は沈降地形によってつくられた深い湾入を利用したもので,17世紀にスペイン人によって開かれた。オランダ鄭成功支配のあと,清朝のもと乾隆年間(1736-95),福建省からの移住が進み,交通がひらけてきた。19世紀には外国船の来航もふえたが,天津条約の結果,1861年(咸豊11)淡水の付属港として開港された。現在は,南北縦貫鉄道,宜蘭鉄道,南北高速道路の起点でもあり,特に台北との交通は便利である。冬の雨季には雨天日数が月20日を超える。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キールン」の意味・わかりやすい解説

キールン
きーるん / 基隆

台湾北端の港湾都市。台北(たいほく/タイペイ)の北東30キロメートルに位置する。人口38万8425(2000)。旧称チーロン(鶏籠)。先住の民族の族名の訳音と地形に似せてこの名がある。東西と南の三面が山に囲まれ、東西18キロメートル、南北15キロメートルの狭く険しい地勢をもつ台湾第一の天然の良港雨期が秋と冬にあり、1年の半分以上の日が雨で、「雨の港」の別称がある。1860年の天津(てんしん)条約により開港し、75年に現在の名に改称した。99年より日本が4回にわたる築港事業を推進し、大型船が停泊する外港と埠頭(ふとう)や倉庫をもつ内港からなる国際的な一大貿易港となった。台湾の北の玄関、台北の外港の役割をもち、台湾北部の海運、貿易の中心地である。台湾縦貫鉄道の北の起点で、東部の宜蘭(ぎらん/イーラン)、花蓮(かれん/ホワリエン)に通じる北回鉄道や陸上交通の要所、また軍事上の要衝でもある。土地が狭く農業資源に乏しいが、漁業がとくに盛んで台湾第2位の漁獲高がある。ほかに造船、肥料、製鉄石炭、水産加工業などの産業がある。

[劉 進 慶]

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百科事典マイペディア 「キールン」の意味・わかりやすい解説

キールン(基隆)【キールン】

台湾北端の貿易港湾都市。旧名チールン(鶏籠)。17世紀初めスペインの築港により開拓が進み,オランダ支配を経て清朝に至り,福建・広東からの移民を得て発展。天津条約により1861年開港。日本統治期に近代的港湾施設を整備,対外貿易の拠点港,台湾縦貫鉄道の起点として,バナナ,茶,米,パイナップル,樟脳(しょうのう),木材などを大量に輸出した。戦後も発展を続け,キールン港は台湾で二番目の貨物取扱量を誇る物流の拠点となっている。港口の和平島付近は漁獲が多く,全島の3分の2が水揚げされる。人口37万4914人(2013)。

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