日本大百科全書(ニッポニカ) 「習仲勲」の意味・わかりやすい解説
習仲勲
しゅうちゅうくん / シーチョンシュン
(1913―2002)
中国の政治家。習近平(きんぺい)の父。陝西(せんせい)省富平(ふへい)県の貧しい農村に生まれ、13歳のとき共産主義青年団に参加、15歳(1928年)で共産党に入党し農民運動に従事する。その後ももっぱら陝西・甘粛(かんしゅく)・寧夏(ねいか)の省境をまたぐ地域(陝甘寧辺区)での党、行政、軍を指導し、同革命根拠地の創建者の一人となった。1945年には党中央西北局書記となり、1949年2月同書記と同時に西北軍政委員を兼任した。建国以後は、中央人民政府委員、西北軍政委員会副主席、代理主席の任についた。1950年9月に党中央宣伝部長に、1953年に政務院(のちの国務院)秘書長に、さらに1959~1962年には国務院副総理兼秘書長となった。
1962年8月延安根拠地の創設者・劉志丹(りゅうしたん)(1903―1936)を扱った小説批判が起こり、小説執筆の黒幕とされた習仲勲らが反党集団と認定され失脚した。その間、陰に陽に周恩来(しゅうおんらい)によって保護され生き延びることができた。16年の不遇な期間を経て1978年に名誉回復され、ただちに広東(カントン)省の党第一書記、広東省長などの任につき、経済特区の建設など改革開放の先頭にたった。1993年以降は党と国家の全職務から引退した。
[天児 慧 2018年4月18日]