耐久舎(読み)たいきゆうしや

日本歴史地名大系 「耐久舎」の解説

耐久舎
たいきゆうしや

[現在地名]広川町広

幕末に浜口梧陵を中心として設立された私塾。嘉永五年(一八五二)梧陵が当地の富豪岩崎明岳・浜口東江(容所)らと図り、人材養成を目的とした子弟教育機関としてひろ村に稽古場を開いたのに始まる。これは前年に開設された崇義団を母体にしている。稽古場は当地の吉田慶蔵の裏納屋を充て、教授陣には漢学者・剣道指南者を招聘し、梧陵自身も槍術を指南した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む