耐久舎(読み)たいきゆうしや

日本歴史地名大系 「耐久舎」の解説

耐久舎
たいきゆうしや

[現在地名]広川町広

幕末に浜口梧陵を中心として設立された私塾。嘉永五年(一八五二)梧陵が当地の富豪岩崎明岳・浜口東江(容所)らと図り、人材養成を目的とした子弟教育機関としてひろ村に稽古場を開いたのに始まる。これは前年に開設された崇義団を母体にしている。稽古場は当地の吉田慶蔵の裏納屋を充て、教授陣には漢学者・剣道指南者を招聘し、梧陵自身も槍術を指南した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

福岡県福岡市博多区の櫛田神社の夏祭り。壮麗な山笠で知られる。今日,山笠には飾り山笠と舁き山笠(かきやまがさ)の 2種類がある。明治時代に電線が架設されて以降,物語場面の人形などを飾りつけた高さ 15m...

博多祇園山笠の用語解説を読む