聖護院旧仮皇居(読み)しょうごいんきゅうかりこうきょ

国指定史跡ガイド 「聖護院旧仮皇居」の解説

しょうごいんきゅうかりこうきょ【聖護院旧仮皇居】


京都府京都市左京区聖護院中町にある仮皇居跡。白河上皇ゆかりの門跡寺院で、1090年(寛治4)に白河上皇熊野詣(くまのもう)での先達(せんだち)(案内役)を務めた天台宗の僧、増誉(ぞうよ)が熊野三山霊場を統括する検校(けんぎょう)に任じられ、上皇から与えられた寺が聖護院の創建となった。その後、親王が入寺する門跡寺院として栄えたが、応仁の乱などによって焼失し、江戸時代には当山派と本山派に分かれた修験道の、本山派の中核寺院として全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となった。現在は本山修験宗の総本山である。明治時代までは西側に聖護院村があり、鴨川にかけて聖護院の森が広がって、その森の中にある御殿だったことから、森御殿とも称された。江戸時代後期には京都御所の炎上に際して、光格天皇と孝明天皇が一時期仮皇居として使用していたため、聖護院旧仮皇居と称された。仮皇居とした際の玉座や御学問所、茶室が現存し、1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。京阪電鉄鴨東(おうとう)線神宮丸太町駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の聖護院旧仮皇居の言及

【聖護院】より

…また書院は小書院とともに禁裏の御殿を下賜されて移建したもので,江戸前期の書院建築の好例として重要文化財。皇室との由縁は深く,江戸後期,禁裏炎上のとき,光格・孝明2帝の仮宮となり,いま聖護院旧仮皇居として史跡になっている。また8月1日の山伏行列は,この日,全国から集まった数千の山伏が大峰入りをするため,旗をたて,法螺貝を吹きながら,みやこ大路を当寺から京都駅までねり歩くもので,当寺の名物となっている。…

※「聖護院旧仮皇居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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