改訂新版 世界大百科事典 「胡風批判」の意味・わかりやすい解説
胡風批判 (こふうひはん)
中国,1954年より55年にかけての,文芸理論家胡風とその集団に対する批判運動。胡風の理論は,厨川白村の理論に基づく〈主観の燃焼〉〈自我の拡張〉がおもな内容である。新中国後,林黙涵や何其芳の批判に答える形で,胡風は〈文芸問題に対する意見〉(1954年6月)を書き,共産党指導部の文学への無理解と派閥的運営を批判した。55年1月より5月にかけ,胡風は〈小ブルジョア階級の革命性と立場〉を労働階級のそれと混同したと,自己批判を書いたが,《人民日報》は5月13日より,編者〈按語〉をつけ,胡風の私信を公開して,自己批判の欺瞞性を暴き,〈反革命〉と規定した。文学者たちは,文学論争を放棄し,胡風の公職追放を拡大会議で決議した(5月25日)が,彼らには近代的自我を捨てて自己変革を追求する雰囲気が全体にあったのである。〈按語〉を書いて政治的決着をつけた毛沢東と,胡風の身柄を保護したといわれる劉少奇との,文学者をどう指導し位置づけるかの差異が,このキャンペーンにも影を落としていた。
執筆者:萩野 脩二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報