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胡風 こふう Hu-feng

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡風
こふう
Hu-feng

[生]光緒30(1904)
[没]1985.6.8. 北京
中国の文芸評論家。湖北省き春 (きしゅん) の人。本名,張光人。また張谷非とも称する。 1928年日本に留学,プロレタリア文学運動に近づき,33年帰国,『林語堂論』 (1934) で認められた。

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デジタル大辞泉の解説

こふう【胡風】

[1904~1985]中国の文芸評論家。湖北省の人。本名は張光人。日本へ留学後帰国し、左翼文学運動で活躍。中華人民共和国成立後、批判されて投獄されたが、1980年名誉を回復。フー=フォン

フー‐フォン【胡風】

こふう(胡風)

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百科事典マイペディアの解説

胡風【こふう】

中国の文芸批評家,詩人。湖北省出身。本名は張光人。1938年中国左翼作家聯盟に参加,魯迅に接近し,雑誌《七月》《希望》を発刊。抗日戦争中を通じ,〈主観の燃焼〉による文学を提唱。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

胡風 こふう

1902-1985 中国の文学者。
光緒28年11月1日生まれ。昭和4年(1929)来日して慶大に入学,プロレタリア文学運動にくわわる。1936年魯迅(ろじん)らと「民族革命戦争大衆文学」を主張。新中国成立後,反革命集団の首謀者として投獄されたが,1980年に名誉回復,政協常務委員をつとめた。1985年6月8日死去。84歳。湖北省出身。本名は張光人。筆名は別に谷非。中国語読みはフー-フォン。

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世界大百科事典 第2版の解説

こふう【胡風 Hú Fēng】

1903‐85
中国の文芸理論家。本名張光人。湖北省蘄春(きしゆん)県の生れ。日本留学中に左翼文芸理論に触れる。1936年には,魯迅とともに〈民族革命戦争の大衆文学〉のスローガンを提起して〈国防文学〉を主張する周揚など中共グループと対立。新中国成立後,党の官僚主義的文芸指導を根底的に批判した30万語の〈文芸意見書〉を中共中央に提出し,反党分子として断罪された(1955)が,81年に中国作家協会への復籍が認められた。

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大辞林 第三版の解説

こふう【胡風】

1904?~1985) 中国の文芸批評家。本名は張光人。日本留学後、左翼作家連盟で活躍。1955年批判され投獄されたが、80年名誉回復。フー=フォン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

胡風
こふう / フーフォン
(1904/1902―1985)

中国の文芸理論家、詩人。本名張光人(ちょうこうじん)、筆名谷非(こくひ)など。湖北(こほく/フーペイ)省の豆腐職人の三男。武昌(ぶしょう/ウーチャン)、南京(ナンキン)での学業を経て北京(ペキン)大学、清華大学に学ぶ。北伐期帰郷して国民党に参加、国共分裂後1929年に渡日、慶応義塾大学英文科に入学、泉充(いずみみつる)と識(し)り日本プロレタリア文学運動に参加、中国左翼作家連盟東京支部にも加わり、日中左翼文学の交流に寄与した。1933年、逮捕送還されたのち、上海(シャンハイ)で「左連」の活動に従事、魯迅(ろじん/ルーシュン)の信頼と庇護(ひご)を得たが、「国防文学」論争などで周揚(しゅうよう/チョウヤン)らと対立した。抗日期、武漢(ぶかん/ウーハン)・重慶(じゅうけい/チョンチン)などで雑誌『七月』『希望』を創刊して一潮流を形成したが、解放後、その唯心論的傾向に批判が強まり、55年「胡風批判」で失脚、反革命集団の首魁(しゅかい)とされ投獄された。79年釈放、80年名誉回復され、その後、文学芸術院顧問、政協常務委員、中国文連全国委員となる。[近藤龍哉]

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世界大百科事典内の胡風の言及

【胡風批判】より

…中国,1954年より55年にかけての,文芸理論家胡風とその集団に対する批判運動。胡風の理論は,厨川白村の理論に基づく〈主観の燃焼〉〈自我の拡張〉がおもな内容である。…

【中華人民共和国】より

…むろん毛沢東とて,経済的土台を無視するはずはないが,全体としていえば,彼は革命精神をことさらに強調することによって,現実を重んじる劉少奇的なものを対立面に引き出してきたように思える。そのような毛沢東がイデオロギー領域の闘争を重視したのは当然であって,第1期においては,映画《武訓伝》批判(1951),《紅楼夢研究》をめぐるブルジョア観念論批判(《紅楼夢研究》批判),および胡適思想批判(1954),胡風批判(1955)など,一連の思想批判運動をみずから発動したが,イデオロギー面では人々はよりスムーズに毛沢東の急進政策に同調したようにみえる。 56年9月に開かれた中共第8回全国代表大会(以下,この種の大会は8全大会というふうに略称)は第1期を総括するものであったが,そこでは上述のような対立も深刻化したようにはみえず,劉少奇の大会報告は,第1次5ヵ年計画の完遂をたたえ,中国が今や社会主義への過渡期に入ったことを告げた。…

【中国文学】より

…このことは,作家たちにとって,生活が保障され,創作条件が整備されたことを意味したが,同時にそれらの組織を通じて,不断に〈党〉の〈指導〉を受けることでもあった。作者たちはそうした状態をしだいに不自由と感じるようになったが,そうした不満をもっとも大胆に表明したのは胡風であった。彼は,中共中央に提出した長文の《文芸に関する意見》(1954)で,〈指導〉という名の党の干渉こそは文芸を窒息させるもとであるとして,文芸により広範な自由を与えよ,と主張したが,中共は毛沢東の直接指導下に,胡風を〈反革命分子〉として断罪した。…

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