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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国の文芸理論家、詩人。本名張光人(ちょうこうじん)、筆名谷非(こくひ)など。湖北(こほく/フーペイ)省の豆腐職人の三男。武昌(ぶしょう/ウーチャン)、南京(ナンキン)での学業を経て北京(ペキン)大学、清華大学に学ぶ。北伐期帰郷して国民党に参加、国共分裂後1929年に渡日、慶応義塾大学英文科に入学、泉充(いずみみつる)と識(し)り日本プロレタリア文学運動に参加、中国左翼作家連盟東京支部にも加わり、日中左翼文学の交流に寄与した。1933年、逮捕送還されたのち、上海(シャンハイ)で「左連」の活動に従事、魯迅(ろじん/ルーシュン)の信頼と庇護(ひご)を得たが、「国防文学」論争などで周揚(しゅうよう/チョウヤン)らと対立した。抗日期、武漢(ぶかん/ウーハン)・重慶(じゅうけい/チョンチン)などで雑誌『七月』『希望』を創刊して一潮流を形成したが、解放後、その唯心論的傾向に批判が強まり、55年「胡風批判」で失脚、反革命集団の首魁(しゅかい)とされ投獄された。79年釈放、80年名誉回復され、その後、文学芸術院顧問、政協常務委員、中国文連全国委員となる。
[近藤龍哉]
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1902~85
中国現代の文芸評論家,詩人。湖北省蘄春(きしゅん)の人。日本で左翼文学運動の影響を受け,小林多喜二らを知る。帰国後,魯迅(ろじん)に認められ,中国左翼作家連盟に加わる。中華人民共和国成立後,作家の主体性を重視する立場から公式主義を批判した。そのため1952年からその思想が批判され,55年には「反革命分子」,さらに「国民党のスパイ」として粛清された。80年名誉回復された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…むろん毛沢東とて,経済的土台を無視するはずはないが,全体としていえば,彼は革命精神をことさらに強調することによって,現実を重んじる劉少奇的なものを対立面に引き出してきたように思える。そのような毛沢東がイデオロギー領域の闘争を重視したのは当然であって,第1期においては,映画《武訓伝》批判(1951),《紅楼夢研究》をめぐるブルジョア観念論批判(《紅楼夢研究》批判),および胡適思想批判(1954),胡風批判(1955)など,一連の思想批判運動をみずから発動したが,イデオロギー面では人々はよりスムーズに毛沢東の急進政策に同調したようにみえる。 56年9月に開かれた中共第8回全国代表大会(以下,この種の大会は8全大会というふうに略称)は第1期を総括するものであったが,そこでは上述のような対立も深刻化したようにはみえず,劉少奇の大会報告は,第1次5ヵ年計画の完遂をたたえ,中国が今や社会主義への過渡期に入ったことを告げた。…
…このことは,作家たちにとって,生活が保障され,創作条件が整備されたことを意味したが,同時にそれらの組織を通じて,不断に〈党〉の〈指導〉を受けることでもあった。作者たちはそうした状態をしだいに不自由と感じるようになったが,そうした不満をもっとも大胆に表明したのは胡風であった。彼は,中共中央に提出した長文の《文芸に関する意見》(1954)で,〈指導〉という名の党の干渉こそは文芸を窒息させるもとであるとして,文芸により広範な自由を与えよ,と主張したが,中共は毛沢東の直接指導下に,胡風を〈反革命分子〉として断罪した。…
※「胡風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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