日本大百科全書(ニッポニカ) 「何其芳」の意味・わかりやすい解説
何其芳
かきほう / ホーチーファン
(1912―1977)
中国の詩人、批評家。2月5日、四川(しせん/スーチョワン)省万県(ばんけん/ワンシエン)に生まれる。北京(ペキン)大学在学中から詩、散文を書き始め、卒業後、卞之琳(べんしりん/ピェンチーリン)、李広田(りこうでん/リーコワンテン)とともに出した詩集『漢園集』で注目を浴びた。初期のものには、フランス象徴詩派の影響を受けた繊細で主知的な作品が多い。抗日戦開始後、四川に帰ったが、38年8月延安(えんあん/イエンアン)へ移り、同年共産党に入党。従軍したり魯迅(ろじん)芸術学院の教師を務めたりするなかで、作風をしだいに変えた。詩集『夜歌』(1945)はその内面を伝え、当時の知識青年に強い影響を与えた。抗日戦争中、重慶(じゅうけい/チョンチン)で「主観」重視を唱えていた胡風(こふう/フーフォン)の理論をリアリズムの立場から批判したのをはじめ、仕事の重点をしだいに批評に移し、解放後は科学院文学研究所所長を務め、多くの指導的論文を発表した。その評論は豊かな学識に支えられたきめの細かさを特色としている。文化大革命中の非難には屈しなかったが、四人組打倒後まもない77年7月24日、胃癌(いがん)で死去した。詩集、散文集、評論集多数があり、『何其芳選集』(1979)にまとめられているほか、文学研究所の手になる『何其芳文集』がある。
[丸山 昇]