能勢郷(読み)のせごう

日本歴史地名大系 「能勢郷」の解説

能勢郷
のせごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠くが、郡名と同じ「乃世」であろう。天元三年(九八〇)二月二日の某寺資財帳(金比羅宮文書)に能勢田、保延六年(一一四〇)の今富名坪付案(壬生家文書)に能勢村・野間のま村がみえる。四条二里と坪付される野間村は、式内社野間神社と野間の地名から現能勢町野間地区であることは確かである。これに対して、七条三里・四里、八条二里・三里、九条二里・三里・四里と坪付される今富名能勢村は、隣接する田尻たじり(現能勢町)と相論の坪があり、また仏坂ほとけざか菅谷・押原川・吉東・山上・下谷田斉院さいいん・柏木斉院・吉前・柏前などと記載される字名のうち、仏坂・柏木・斉院が地黄じおう地区(現能勢町)の字名として遺存しているので、地黄地区に相当することが判明する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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