臼子村(読み)うすごむら

日本歴史地名大系 「臼子村」の解説

臼子村
うすごむら

[現在地名]新城市豊栄(とよさか)

山(やま)村の西北の山懐にあり作手(つくで)(現南設楽郡作手村)に至る道に沿う。慶長九年(一六〇四)の検地帳では田八町六反余で一〇八石余、畑二町九反余で三九石余であるが、ほかに永荒田畑が三町八反余もあった。慶長五年より幕府領であったが、天和元年(一六八一)土井周防守利益の領地となり鳥羽藩に属した。そして大給松平氏・板倉氏・戸田松平氏と領主が代わり、享保一〇年(一七二五)に鳥羽藩領は除かれ、同一二年から旗本巨勢氏の領地となった。

村域北方雁峯(かんぼう)山の中腹に臼子ナギの縄文遺跡があり、爪形文土器・石斧・石鏃を出土する。また西方台地上の東平(ひがしひら)遺跡は縄文中期―晩期のもので、土師器もみられるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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