興津宿(読み)おきつしゆく

日本歴史地名大系 「興津宿」の解説

興津宿
おきつしゆく

[現在地名]清水市興津本町おきつほんちよう

清見寺せいけんじ町の東に位置する東海道宿場町。南は海に面し、西は中宿なかじゆく町。当地で東海道から分岐し、北上して甲斐身延みのぶに至る身延道(興津筋)も通っていた。古くから交通の要衝で、中世以来宿駅として発達。

〔中世〕

西の高橋たかはし宿へ一里、東の由比ゆい宿(現由比町)へ二里の間に位置した(「経覚私要鈔」応仁二年末条所収京都鎌倉宿次第注文)。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一〇月一日条に、源平合戦の際駿河国目代橘遠茂が遠江・駿河両国の武士を催促して、甲斐源氏を迎え討つため興津に陣を布したとある。甲斐国へ通じる河内こうち(身延道)への分岐点にもあたり交通の要衝であった。建久元年(一一九〇)一二月二五日、上洛した源頼朝が鎌倉への帰途、当宿に宿泊している(鎌倉遺文)。東海道の宿として「海道記」「東関紀行」「十六夜日記」などの紀行文に散見し、景勝地清見きよみ潟に隣接し、興津浦の波の音が聞こえる宿として「明日香井集」「続現葉集」「権大納言俊光集」「李花集」など和歌集にもしばしば詠まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の興津宿の言及

【興津】より

…1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定され,以後宿場町として発展。興津宿は本宿と中宿町から成り,中宿町から興津川沿いに北へ甲州往還(身延街道)が分岐,駿甲境の宍原宿をへて身延より甲府へ通じ,交通の要衝であった。〈東海道宿村大概帳〉によれば,宿並10町余,人別1668,家数316,本陣2,脇本陣2,旅籠屋34である。…

※「興津宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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