船上城跡
ふなげじようあと
[現在地名]明石市船上町
明石川河口西岸の湿地帯に築かれた戦国末期の平城。明石城が新造されてからは明石古城ともよばれた(明石志)。天正一三年(一五八五)の四国攻め直後の閏八月、羽柴秀吉により摂津高槻の城主でキリシタンの高山右近重友が封じられ(「宇野主水日記」同年九月三日条、九月一三日付「増田長盛書状」太山寺文書など)、枝吉城(現神戸市西区)に替わる新城を船上の地に築き明石地方の政治拠点とした。領知高は六万石とも(明石市史)、一二万石ともいわれる(契利斯督記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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