船元貝塚(読み)ふなもとかいづか

日本歴史地名大系 「船元貝塚」の解説

船元貝塚
ふなもとかいづか

[現在地名]倉敷市粒江 船元

種松たねまつ山の北山麓にあり、山裾から延びだす低い台地の先端に残されている。貝塚を構成している縄文中期の貝層は、ハマグリハイガイマガキを主体とした鹹水産貝類で、当時、前面には浅い泥海性の海が広がっていたことを示している。大正九年(一九二〇)人骨による石器時代日本人の研究のために発掘され、人骨一四体を出土して以来、貝層の大半は人骨を求めて発掘された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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