日本歴史地名大系 「船木浜・船木関」の解説
船木浜・船木関
ふなきはま・ふなきのせき
琵琶湖に注ぐ安曇川河口付近、現北舟木・南舟木に比定される。船木の地名は安曇川上流より切出された木材が船材に使用されたことにちなむという。中世には京都上賀茂社に勤仕する船木北浜供祭人の根拠地で、琵琶湖水運の寄港地として延暦寺支配下の船木関も置かれた。なお、寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)にみえる「舟木庄」は現近江八幡市域に比定されるが、応永二六年(一四一九)一二月二四日の後小松上皇院宣(醍醐寺文書)によって山城醍醐寺三宝院に与えられた禁裏料所船木庄は、この地に存在していたかもしれない(近江八幡市の→船木庄)。
貞永元年(一二三二)六月三〇日の官宣旨(賀茂別雷神社文書)に「船木北浜供菜人」とみえ、平安後期に成立した上賀茂社領安曇川御厨の贄を貢進する供祭人が、安曇川河口北岸に集住したものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報