改訂新版 世界大百科事典 「船木関」の意味・わかりやすい解説
船木関 (ふなきのせき)
近江国安曇(あど)川の河口,現滋賀県高島市の旧安曇川町船木と,琵琶湖東岸の現近江八幡市船木に設けられた湖上関。1382年(弘和2・永徳2)臨川(りんせん)寺領加賀国大野荘年貢の運送を〈江州湖上舟木浜関所〉が留めおいたため,関務(関所の役人)に触れて勘過(調査して通過させること)を幕府が命じている。安曇川河口の舟木浜には賀茂神社の御厨(みくりや)もあり,この関は当時〈山門(比叡山延暦寺)六社造営方〉の支配下にあった。応仁の乱後の1485年(文明17)には幕府御料所として〈江州高嶋郡船木関〉の名がみえ,これより早く1472年には〈御料所船木関〉の代官職を松波氏に宛て行うよう山門西塔院政所が幕府に訴え出ていることから,室町中期には幕府御料所でありながら,山門西塔院の関与があったことがうかがわれる。
これに対し,1447年(文安4)南禅寺の仏殿造営材木を飛驒国から運送するにあたって,山門支配下の諸関での勘過のために出された山門使節過所(書)には坂本七ヶ関所,堅田関所と並んで〈日吉船木関所東西〉の名がみえる。この船木関は同時期に船木関の枝関と思われる奥島関と同様〈しま〉と呼びならわされているところから,湖東と湖西の坂本を結ぶ要所,現近江八幡市船木に設けられた関と考えられる。
執筆者:小林 保夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報