船泊村(読み)ふなどまりむら

日本歴史地名大系 「船泊村」の解説

船泊村
ふなどまりむら

[現在地名]礼文郡礼文町大字船泊村

明治一一年(一八七八)一〇月に成立し、同三五年まで存続した礼文郡の村。礼文島の北東部に位置。明治二五年一〇月に船泊外一ヶ村戸長役場が成立し、神崎かんざき村も管轄した。明治二一年の戸口は七八戸・三〇一人(道戸口表)。同三四年の戸口は四三一戸・一千九九九人(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。明治一九年船泊・神崎両村漁業組合が結成され、同二四年鈴木要蔵が商店を経営しながら鱈釣漁業を開拓した。

船泊村
ふなどまりむら

明治三五年(一九〇二)から昭和三一年(一九五六)まで存続した礼文郡の村。明治三五年四月、船泊村・神崎かんざき村が合併して成立し二級町村制を施行した。同年の戸口は六七三戸・四千二三六人(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。大正期には小樽稚内線航路の寄港地に組入れられ、昭和一六年には稚内―利尻―礼文航路(稚内利礼航路)の寄港地となった。昭和三年九月国費補助により船泊船入澗が着工され、同六年七月に完成した。同二五年船泊港が地方港湾に指定された。同二七年に船泊港修築事業所が開設された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報