船玉村(読み)ふなだまむら

日本歴史地名大系 「船玉村」の解説

船玉村
ふなだまむら

[現在地名]関城町船玉

鬼怒きぬ川左岸にあり、南は関本せきもと村、南東舟生ふにゆう村。中世後期は結城氏の支配に属し、慶長六年(一六〇一)結城秀康越前に転封になると天領となり、その後まもなく久世広之(下総関宿城主)(寛文朱印留)、元禄一四年(一七〇一)から結城藩領に編入された(水野家文書)。同年四月の下野国芳賀郡常陸国西河内郡之内郷村高帳写(水野家文書)には「高弐百弐拾六石四斗五升六合 船玉村」「高三拾五石七升弐合 同所新田」とあり、ほかに「畑八町壱反九畝拾八歩 見取場」「屋鋪四畝弐歩 同断」「永百六拾壱文 野銭」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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