久世広之(読み)くぜひろゆき

改訂新版 世界大百科事典 「久世広之」の意味・わかりやすい解説

久世広之 (くぜひろゆき)
生没年:1609-79(慶長14-延宝7)

江戸前期の老中,下総関宿藩主武蔵国に生まれる。徳川秀忠小姓となる。1636年(寛永13)従五位下大和守に叙任。37年小姓組頭となる。48年(慶安1)相模武蔵上総で1万石を領する。62年(寛文2)若年寄,翌年老中となり従四位下に叙せられる。この間数度の加増をうけるが,69年1万石を加増され,下総関宿城主となり,下総・常陸において5万石を領した。
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朝日日本歴史人物事典 「久世広之」の解説

久世広之

没年:延宝7.6.25(1679.8.1)
生年:慶長14(1609)
江戸前期の老中,下総国関宿藩(千葉県関宿町)藩主。久世広宣の3男で,武蔵国の生まれ。通称三之丞。大和守。徳川秀忠につかえ,のち家光の小姓組に加えられる。書院番,小納戸などを経て,寛永15(1638)年小姓組番頭となる。この間しばしば加増され,正保3(1646)年1万石の大名となる。承応2(1653)年,牧野親成,土屋数直,内藤忠清らと共に幼少の4代将軍家綱補佐を命じられる。以後,幕政の中枢にあって政務に携わり,若年寄を経て寛文3(1663)年老中に昇進。9年には下総関宿5万石を領した。なお寛文2年,金沢八景で知られる景勝地に能見堂を再建した。

(大森映子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久世広之」の解説

久世広之 くぜ-ひろゆき

1609-1679 江戸時代前期の大名。
慶長14年生まれ。久世広宣(ひろのぶ)の3男。徳川秀忠(ひでただ)・家光・家綱につかえた。旗本からでて,慶安元年相模(さがみ),武蔵(むさし),上総(かずさ)を領する大名(1万石)となる。寛文2年若年寄,3年老中。9年下総(しもうさ)関宿(せきやど)藩(千葉県)藩主久世家初代。5万石。延宝7年6月25日死去。71歳。

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