船田ミサヲ(読み)フナダ ミサオ

20世紀日本人名事典 「船田ミサヲ」の解説

船田 ミサヲ
フナダ ミサオ

明治〜昭和期の女子教育者,女性運動家 済美高校理事長;元・大日本婦人会松山支部長。



生年
明治5年1月13日(1872年)

没年
昭和31(1956)年5月19日

出生地
愛媛県松山市二番町(現・柳井町)

旧姓(旧名)
白川

学歴〔年〕
愛媛師範附属小高等科卒

主な受賞名〔年〕
愛媛県教育文化賞〔昭和29年〕

経歴
旧松山藩士の長女として生まれる。実家は材木問屋を営み裕福だったが、やがて没落。明治19年小学校教員見習いとなる。25年私立松山幼稚園保母長となり、40年家政女学会を設立。41年沢田亀と愛媛実科女学校を開校、44年勝山高等女学校と合併して済美高等女学校となり、その専務理事として学校経営尽力。また愛媛県における女性運動の先駆者としても知られる。戦時中に大日本婦人会松山支部長を務めたことから戦後公職追放に遭ったが、教え子らの署名運動により追放が解除され、済美高校理事長として経営の復興に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船田ミサヲ」の解説

船田ミサヲ ふなだ-ミサヲ

1872-1956 明治-昭和時代の教育者。
明治5年1月13日生まれ。白川義則の妹。勝山女学校,愛媛実科女学校などの経営を手がけ,明治44年愛媛県松山市に済美高女(現済美高)を設立,専務理事となる。昭和23年済美高理事長に就任し,戦災をうけた校舎の復興につとめた。昭和31年5月19日死去。84歳。愛媛県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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