白川義則(読み)シラカワヨシノリ

  • しらかわよしのり〔しらかは〕
  • 白川義則 しらかわ-よしのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1869*-1932 明治-昭和時代前期の軍人。
明治元年12月12日生まれ。陸軍次官,関東軍司令官などをつとめ,大正14年大将。昭和2年田中義一内閣陸相となるが,張作霖(ちょう-さくりん)爆殺事件を指揮した河本大作大佐を処罰できず,内閣は総辞職。7年上海派遣軍司令官として出征中爆弾テロにあい,5月26日死去。65歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。陸軍大学校卒。

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精選版 日本国語大辞典の解説

陸軍大将。男爵。伊予(愛媛県)出身。関東軍司令官、陸相、軍事参議官などを歴任。中国通として知られる。昭和七年(一九三二)の上海事変に上海派遣軍司令官として出征、強硬派に反対し停戦を実現させたが同地で爆弾を投げられて負傷、一か月後没。明治元~昭和七年(一八六八‐一九三二

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世界大百科事典内の白川義則の言及

【早稲田軍教事件】より

…早稲田大学軍事研究団事件ともいう。第1次世界大戦後,総力戦体制を構想した軍部は教育機関にも足場を築こうと企図していたが,軍部と接触のあった早大教授青柳篤恒は乗馬学生団を母体に軍事研究団を組織するため,1923年5月10日,陸軍次官白川義則ら陸軍幹部を招いて発会式を行った。文化同盟,建設者同盟,雄弁会はこれに抗議し,12日に雄弁会主催で軍事研究反対学生大会を開き,約5000の学生が結集して〈我等は軍国主義に反対し,早稲田を軍閥宣伝の具たらしむることに反対す〉との決議を採択した。…

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