日本歴史地名大系 「芝二本榎町一丁目」の解説 芝二本榎町一丁目しばにほんえのきちよういつちようめ 東京都:港区旧芝区地区芝二本榎町一丁目[現在地名]港区高輪(たかなわ)一―二丁目高輪台(たかなわだい)町の南西に位置する町。明治二年(一八六九)に広岳(こうがく)院・承教(じようきよう)寺・黄梅(おうばい)院の各門前が合併して成立。同五年にこの三ヵ寺と松光(しようこう)寺などの寺地を編入。当地一帯は江戸時代には芝二本榎町と通称された(文政町方書上など)。編入された寺地のうち、黄梅院と広岳院は曹洞宗。広岳院は文禄三年(一五九四)に西久保(にしくぼ)にあった薬師堂で宗英寺とし、のち広岳院と改めた。元和六年(一六二〇)には陽光天皇第五皇子興意法親王が葬られた。慶長一九年(一六一四)に京都方広(ほうこう)寺(現京都市東山区)大仏殿の棟札を執筆、徳川家康の不興を買ったことで知られる。承応二年(一六五三)当地に移転した際陵墓も改葬された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by