朝日日本歴史人物事典 「芥川丹邱」の解説
芥川丹邱
生年:宝永7.3.4(1710.4.2)
江戸時代中期の漢学者。京都の人。名は煥,字は彦章。号は丹邱。清太郎,采女,養軒と称す。一説に紀伊国屋文左衛門の子という。初め叔父那良宗哲に句読を受け,のちに大町敦素に従う。さらに伊藤東涯門に入り,古義を学ぶとともに,宇野明霞,服部南郭らと交友,上方における徂徠学流行の一翼を担った。その学問は博覧強記。華音(中国語)に通じ,白話小説の研究でも知られる。詩人としても有名。温和な人柄で,一派に片寄ることなく,のちには,徂徠学を離れ,朱子学,陽明学を攻究。易や仏教にも精通した。<著作>『丹邱詩話』『薔薇館集』
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報