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宇野明霞 うのめいか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宇野明霞
うのめいか

[生]元禄11(1698).5.20.
[没]延享2(1745).4.14.
江戸時代中期の古学派の儒学者。京都の人。町人出身。荻生徂徠の影響を受け,のち一家の説を立てる。著書『論語考』『語字解』。

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デジタル大辞泉の解説

うの‐めいか【宇野明霞】

[1698~1745] 江戸中期の儒学者。京都の人。字(あざな)は士新。通称は三平荻生徂徠の学問を学び、京都で初めて徂徠学を講じたが、後に離反。著作に「論語考」「明霞先生遺稿」など。

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百科事典マイペディアの解説

宇野明霞【うのめいか】

江戸中期の儒学(古学)者。京の人。僧大潮(だいちょう)(元皓(げんこう))に学ぶ。弟の士朗は荻生徂徠(おぎゅうそらい)に師事した。京師(けいし)で初めて徂徠学を講じたとされるが,のち《【けん】園(けんえん)名公四序評》《論語考》を通じて異見を立てた。
→関連項目片山北海

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇野明霞 うの-めいか

1698-1745 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)11年5月20日生まれ。宇野士朗の兄。柳川滄洲(やながわ-そうしゅう),大潮元皓(だいちょう-げんこう)にまなぶ。弟を江戸の荻生徂徠(おぎゅう-そらい)に入門させ,自身は京都ではじめて徂徠学を講義したが,のちに徂徠批判に転じた。延享2年4月17日死去。48歳。京都出身。名は鼎。字(あざな)は士新。通称は三平。著作に「論語考」「名公四序評」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宇野明霞

没年:延享2.4.14(1745.5.15)
生年:元禄11.5.20(1698.6.27)
江戸中期の儒者。名は鼎,字は士新,通称三平,明霞と号した。近江国(滋賀県)野洲の人。商家に生まれたが家業を継がず,学問に志して向井滄洲に教えを請う。徂徠の学に憧れるが,病身のため東遊できず,弟の士朗を従学せしむ。京都で最初に徂徠学を講じたが,のちには徂徠の学説に疑問を抱き,徂徠学を果敢に批判するに至る。生涯妻を娶らず,諸侯にも仕官せず,自己に厳格な生活態度を貫き通して48歳で没した。墓は京都極楽寺にある。代表的な著作に『論語考』『左伝考』『明霞先生遺稿』がある。<参考文献>高橋博巳「京の脱徂徠学派宇野明霞」(『日本思想史学』15号)

(小島康敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

うのめいか【宇野明霞】

1698~1745) 江戸中期の儒者。近江の人。名は鼎、字あざなは士新、通称は三平。京都に徂徠学を導入しながら、後に離反した。著「論語考」「明霞先生遺稿」など。

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367日誕生日大事典の解説

宇野明霞 (うのめいか)

生年月日:1698年5月20日
江戸時代中期の儒者
1745年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の宇野明霞の言及

【片山北海】より

…名は猷,字は孝秩,通称忠蔵,北海は号。18歳の時京都に出て,宇野明霞(1698‐1745)について学んだ。明霞は荻生徂徠の儒学説を上方で最初に講じた儒者である。…

※「宇野明霞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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