デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花山院師継」の解説 花山院師継 かざんいん-もろつぐ 1222-1281 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。貞応(じょうおう)元年生まれ。花山院忠経の4男。母は葉室宗行の娘。参議,権(ごんの)中納言をへて建長7年権大納言となり,康元元年正二位にすすむ。文永8年(1271)内大臣に任じられた。弘安(こうあん)4年4月9日死去。60歳。号は妙光寺。日記に「妙槐記」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「花山院師継」の解説 花山院師継 没年:弘安4.4.9(1281.4.28) 生年:貞応1(1222) 鎌倉中期の公卿。父は右大臣忠経。母は中納言藤原宗行の娘。近衛次将から仁治3(1242)年蔵人頭,寛元3(1245)年参議。以後順調に昇進して内大臣に昇る。後嵯峨・亀山上皇に評定衆として仕え,博学を以て知られる。妙光寺内大臣と称し,日記『妙槐記』がある。 (本郷和人) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by