日本歴史地名大系 「花山院跡」の解説
花山院跡
かざんいんあと
[現在地名]上京区京都御苑
清和天皇皇子貞保親王の邸であったのを関白藤原基経の子、忠平が伝領した。もと「東一条第」といい、
「拾芥抄」に、「近衛南東洞院東一町、本名東一条(家)云云、式部卿貞保親王家、貞信公伝領之住、小一条之東号之東ノ家
、九条殿令
給外家ニテ 冷泉院此所ニテ 立坊
、花山院伝
領之
」とあり、位置については近衛南東洞院東一町、現京都御苑内の京都御所の南方にあたる。
当時忠平は小一条院に住していたようで、「古事談」に「東ノ宮
主人住
給西町
之故也」とある。その後、子の師輔を経て伊尹が伝領し、天暦四年(九五〇)七月二三日には憲平親王(のち冷泉天皇)が当家で立太子している(日本紀略)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報