1219年(承久1)、前天台座主(ざす)大僧正慈円(じえん)(慈鎮(じちん)和尚)が著した歴史書。『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』(北畠親房(きたばたけちかふさ)著)、『読史余論(とくしよろん)』(新井白石(あらいはくせき)著)とともに、わが国の三大史論書といわれている名著である。7巻からなり、巻1~2に「漢家年代」「皇帝年代記」を置き、巻3~6で保元(ほうげん)の乱(1156)以後に重きを置いた神武(じんむ)天皇以来の政治史を説き、付録の巻7では、日本の政治史を概観して、今後の日本がとるべき政治形体と当面の政策を論じている。
すなわち、慈円は、一方では武士の出現によって宮廷貴族の間に生まれた「近代末世の意識」を「仏教の終末論の思想」によって形而上(けいじじょう)学的に根拠づけ、一方では藤原氏の伝統的な「摂関家意識」を「祖神(天照大神(あまてらすおおみかみ)・八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と天児屋命(あめのこやねのみこと))の冥助(みょうじょ)・冥約の思想」によって形而上学的に根拠づけ、この両方の思想群を結合して彼の史論を構築した。その際、彼がこれら2組、四つの思想史的要素の接合剤としたのは、理想を現実にあわせて変化させるという、伝教(でんぎょう)大師最澄(さいちょう)以来比叡山(ひえいざん)の思想的伝統となって深化してきた「時処機(ときところひと)相応の思想」であった。こうした思想をよりどころとして、いまは摂関家と武家を一つにした摂籙(せつろく)将軍制が、末代の道理として必然的に実現されるべき時であると論じ、後鳥羽院(ごとばいん)とその近臣による摂関家排斥の政策と幕府討伐の計画は歴史の必然、祖神の冥慮(みょうりょ)に背くものと非難した。彼は承久(じょうきゅう)の乱(1221)ののちもこの考えを捨てず、この書の皇帝年代記に筆を加え続けているのである。
[石田一良]
『岡見正雄・赤松俊秀校注『日本古典文学大系86 愚管抄』(1967・岩波書店)』▽『Delmer M. Brown and Ichiro IshidaThe Future and the Past;a translation and study of the Gukansho (1979, Univ. of Calif. Press)』▽『石田一良「『愚管抄』の成立とその思想」(『東北大学文学部研究年報』17所収・1966)』
鎌倉時代初頭の歴史書。7巻。慈円著。《愚管抄》は内容からみて3部に分けることができる。第1部は〈皇帝年代記〉と題される部分で,巻一,二がそれに当たり,神武から後堀河までの歴代天皇の摘要と,治世の主要な事項を列挙する形をとっている。それに対して,第2部は神武天皇以来の日本国の歴史を叙述し,道理の推移を読み取ろうとした部分で,巻三~六がそれに当たる。さらに第3部は道理を基準とした歴史の総論で,巻七がそれに当たる。以上のように《愚管抄》は複雑な構成を持ち,かたかなまじりの特異な文章で書かれている。現在までの研究によると,慈円はまず第2部を書き,第3部から第1部へと進み,一応の完成をみたのが1221年(承久3),承久の乱の直前であったが,乱後になって第1部の末尾に2度の加筆をして,現在の形にしたと考えられる。また,別に比叡山の歴史を記した巻があったと思われるが現存しない。
《愚管抄》の歴史書としての特色は,まず第1に,歴史の推移の中に道理の顕現を見ようとしたところにある。慈円は歴史の流れを凝視し,独自の時代区分を試みている。第2に,慈円が生きた時代,つまり貴族社会が大きく変わり,武家の政権が成立した時代の歴史がよくとらえられていることがあげられる。第2部の叙述の5分の3は,慈円の同時代史にあてられているが,摂関家に生まれ,天台座主(ざす)となり,和歌や祈禱によって後鳥羽院にも近く,親幕派を代表する公家であった同母兄九条兼実を通じて鎌倉の動静にもくわしかった慈円は,鎌倉時代初頭の錯綜した歴史を身近に,しかも多面的にとらえうる希有(けう)の人物であった。そして第3に,九条家を中心に公家政権と武家政権との調和を実現させようと望み,そのために討幕の動きを牽制しようとした慈円の立場が,その歴史観の根底にあり,歴史の叙述や解釈の中に,当時の公家の政治思想をさまざまに読み取ることができる点があげられる。
執筆者:大隅 和雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
天台座主慈円(じえん)が著述した歴史書。7巻。成立は承久の乱以前とみる1219年(承久元)説・20年説と,承久の乱後とみる22年(貞応元)説にわかれ,定説をみない。公家政権が武家に対してとるべき方針や,鎌倉に下った九条道家の子三寅(みとら)(頼経)への指針として成立。記述は,九条家の一員として慈円が伝え聞いた宮中・鎌倉に関する秘事や伝聞などがあり,梶原景時失脚や比企氏の乱,源頼家の最期など「吾妻鏡」とは異なる鎌倉の記述を多く含む。巻1・2は,冒頭に「漢家年代記」を付し,神武から順徳天皇までの事績をまとめた「皇帝年代記」。順徳天皇につぐ2代は追筆。巻3~6は,慈円の歴史観によって綴られた通史。日本は王法・仏法相依の国であり,天皇家と摂関家の関係を魚水合体,武士が失われた宝剣にかわって朝家を守る姿を文武兼行とよび,鎌倉前期の状態は皇室・藤原氏・源氏を守護する諸神によって定められたとする。巻7付論は,慈円の歴史観をのべた総論。歴史を7段階に区切って道理の盛衰をのべ,道理を悟ってそれに従うことが大切と説くので,道理史観とよばれる。「日本古典文学大系」所収。
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…一般に裁判に勝つことは道理が認められたことを意味したため,道理は勝訴の同義語としても用いられた。いま一つ有名な道理は《愚管抄》における道理であって,著者慈円は歴史の推移を道理の移り変りとしてとらえようとし,この書に〈道理物語〉の異名が生まれたほど,道理を頻用した。ここでも道理は,個別的な道徳,筋道,因果のほかに社会通念的なものなどを含めきわめて多義的であり,しかもすべての道理は移り変わるものとして相対化されている。…
※「愚管抄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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