日本歴史地名大系 「花王院跡」の解説 花王院跡けおういんあと 和歌山県:伊都郡高野町高野山南谷花王院跡[現在地名]高野町高野山華王院とも書いた。南(みなみ)谷の北西部、現増福(ぞうふく)院境内の南側半分にあったが、明治以降廃院となった。院号は開敷華王仏の名により、南勝房覚海を開基とする(信堅院号帳)。覚海は高野山三七代検校で貞応二年(一二二三)没。門下に多くの名僧知識を出した。伽藍中門の扉を両翼にして翔天したと伝えられ、後世内八葉の一つ遍照岡(へんじようがおか)に小祠を造って廟所とした。元亨三年(一三二三)一一月八日の藤原宗連寄進状(増福院蔵花王院文書)によると有田(ありた)郡阿河(あてがわ)荘内「窪田名一所田畠山野等」が当院に寄進されており、正平六年(一三五一)三月二九日、後村上天皇の綸旨(同文書)で安堵されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by