日本歴史地名大系 「芹生村」の解説
芹生村
せりようむら
[現在地名]京北町大字芹生
文禄五年(一五九六)の太閤検地帳はないが、のちの史料から推察すると高六・九六七石、山役銭六貫文と定められたらしい(西家文書)。延宝六年(一六七八)の検地で、高八・〇五四石でわずかながら増高された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
文禄五年(一五九六)の太閤検地帳はないが、のちの史料から推察すると高六・九六七石、山役銭六貫文と定められたらしい(西家文書)。延宝六年(一六七八)の検地で、高八・〇五四石でわずかながら増高された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...