芹生村(読み)せりようむら

日本歴史地名大系 「芹生村」の解説

芹生村
せりようむら

[現在地名]京北町大字芹生

黒田(くろだ)六ヵ村の一。灰屋(はいや)谷最奥、灰屋村南方にある山間の小村。集落南端の芹生峠を経て約六キロで貴船(きぶね)村(現京都市左京区)に至る。この峠越の道は黒田六ヵ村から京都への通路であり、貴船方面へ林産物を運搬するため頻繁に利用された。黒田三ヵ村(上黒田・下黒田・黒田宮)の枝村的村落であった。村の成立は正中年間(一三二四―二六)といわれるが(元禄六年「宮野大明神記録帳」宮春日神社蔵)、確証はない。

文禄五年(一五九六)の太閤検地帳はないが、のちの史料から推察すると高六・九六七石、山役銭六貫文と定められたらしい(西家文書)。延宝六年(一六七八)の検地で、高八・〇五四石でわずかながら増高された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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