日本歴史地名大系 「若田村」の解説 若田村わかたむら 群馬県:高崎市若田村[現在地名]高崎市若田町八幡(やわた)台地の中心地域に立地し、東から北は下大島(しもおおしま)村および上大島・下里見(しもさとみ)村(現群馬郡榛名町)。古代片岡(かたおか)郡若田郷(和名抄)の遺称地。永禄九年(一五六六)の箕輪(みのわ)城(現群馬郡箕郷町)をめぐる長野業政と武田信玄の攻防の際、若田原で前哨戦が行われた(簑輪軍記)。研究の余地のある文書であるが、元亀元年(一五七〇)一二月二七日付武田信玄判物写(「高山系図」所収)によると、鬼石(おにし)(現多野郡鬼石町)の替地として「若田郷」が高山行重に与えられた。 若田村わかたむら 長崎県:下県郡厳原町若田村[現在地名]厳原町下原(しもばる)下原村の東にある同村枝郷。府中(ふちゆう)から佐須(さす)に向かう古道を有明(ありあけ)山と権現(ごんげん)山の間の鞍部にある佐須峠を越えて西に下ると若田の里に出る。中世は佐須郡のうち。応永一一年(一四〇四)一二月一四日の宗貞茂安堵書下(佐須郡判物帳)に「佐須郡若田原」とみえ、佐須のかち左衛門四郎に安堵された。慶長四年(一五九九)椎根(しいね)の桐谷宇右衛門が宗義智から宛行われた給分に「さす原」の「わかたの原のはたけ麦七斗三升まき」の地が含まれていた(同年一一月二九日「宗義智判物」同判物帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by