日本歴史地名大系 「茂辺地村」の解説
茂辺地村
もへじむら
近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。茂辺地川右岸に位置し、東は函館湾に面する。古くは「もへつ」(狄蜂起集書・津軽一統志)、「もへち村」(津軽一統志)といった。「新羅之記録」に「茂別」と記録されるので、「もべち」とも読ませていた。地名は一説に「夷語ムーベツ」(ふさがる川の意)に由来するともいう(地名考并里程記)。
近世は東在箱館付村々のうち。元禄郷帳に「もへち村」、享保十二年所附に茂辺地村とみえ、「此辺とや野ト申所迄一里」などと記される。天保郷帳では「従松前東在」に村名がみえる。シャクシャインの戦に関連して「もへつ 家拾間斗、川有、狄おとなあいにしこ」(狄蜂起集書)と記される。天明年間(一七八一―八九)の家数六〇余・人数三〇〇余(蝦夷拾遺)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報