当別村(読み)とうべつむら

日本歴史地名大系 「当別村」の解説

当別村
とうべつむら

[現在地名]石狩郡当別町字青山あおやま・字青山奥あおやまおく・字青山奥二番川あおやまおくにばんがわ・字青山奥三番川あおやまおくさんばんがわ・字青山奥四番川あおやまおくよんばんがわ・字大川上通おおかわかみどおり・字大沢おおさわ・字金沢かなざわ・字樺戸通かばとどおり・字上当別かみとうべつ・字川下通かわしもどおり・字材木沢ざいもくさわ・字獅子内ししない・字下川通しもかわどおり・字田の沢たのさわ・字対雁通ついしかりどおり・字当別太とうべつぶとう・字中小屋なかごや・字西小川通にしおがわどおり・字東裏ひがしうら・字東小川通ひがしおがわどおり・字ビトエ・字弁華別べんけべつ・字茂平沢もへいざわ・字蕨岱わらびたい春日町かすがちよう樺戸町かばとちよう川下かわしも幸町さいわいちよう栄町さかえまち・獅子内・下川町しもかわちよう白樺町しらかばちよう・スウェーデンヒルズ・末広すえひろ園生そのお高岡たかおか対雁ついしかり・当別太・錦町にしきまち西町にしまち東町ひがしまち・ビトエ・太美ふとみスターライト・太美町ふとみまち太美南ふとみみなみ北栄町ほくえいちよう美里みさと緑町みどりまち元町もとまち弥生やよい六軒町ろつけんちよう若葉わかば

明治五年(一八七二)から昭和二二年(一九四七)まで存続した村。現当別町の全域を占める。近世はイシカリ場所のうちで、トウベツ、ヒトイなどと記録されている地域からなっていた。石狩郡最大の村で(状況報文)南部は南流する当別川の流域を占め、北から北東にかけては神居尻かむいしり(九四六・七メートル)ピンネシリ(一一〇〇・三メートル)待根まちね(一〇〇二メートル)隈根尻くまねしり(九七一・四メートル)などの山岳地帯である。神居尻山は増毛ましけ山地の南端に位置する樺戸三山の一で、「丁巳日誌」(再石狩日誌)はホルカトックカムイシリと記す。「大日本地名辞書」は神居岳とする。ピンネシリは樺戸三山の主峰で待根山と並び立ち、石狩平野の中央部から望まれる山容の美しい山である。


当別村
とうべつむら

[現在地名]上磯郡上磯町当別一―四丁目・字当別

近世から明治一四年(一八八一)まで存続した村。大当別だいとうべつ川および当別川流域にあり、南は三石みついし村。地名は「夷語トウンベツ」(沼のある川の意)によるという(地名考并里程記)。しかし現在沼を見ることはできない。近世は東在箱館付村々のうち。元禄郷帳に「大当別村」「小当別村」がみえ、享保十二年所附では三石村に続けて当別村、「小当別村」が載り、「小当別村」に「此所迄一里」と記される。天保郷帳には「従松前東在」として当別村とある。シャクシャインの戦に関連して「とうへつ 間、小川有、但能き間の由」(狄蜂起集書)と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android