日本歴史地名大系 「荒川鉱山」の解説 荒川鉱山あらかわこうざん 秋田県:仙北郡協和町荒川村荒川鉱山[現在地名]協和町荒川開坑当初の位置は荒川に沿って上り、繋(つなぎ)川の合流点を越えて長者(ちようじや)山の北東部にあったと推定される(協和町郷土史資料)。慶長年間(一五九六―一六一五)銀山として開発されたと推定される。「梅津政景日記」によれば、開坑後間もない慶長一九年産銀量が減少し、藩の直営(直山)であったものが、元和初年には請負山となっている。元和四年(一六一八)新鉱脈の発見により活況を呈し、再び直山となり、同年の町家数一一六、人数一千人余であった。幕府への運上銀は、元和元年銀五貫目、同六年五貫一〇〇匁、寛永三年(一六二六)一貫四〇〇匁、同七年五貫目とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by