朝日日本歴史人物事典 「荒木了伯」の解説
荒木了伯
生年:生年不詳
江戸前期の転びバテレン。大村藩(長崎県)出身か。キリシタン名はトマス。ペドロ・アントニオとも称した。セミナリオを卒業し,留学生としてローマに派遣される。慶長17(1612)年司祭となり,元和1(1615)年帰国。同5年長崎で捕らえられ,大村の鈴田牢に入獄。背教後は荒木了伯と称した。同じく背教した沢野フェレイラ(忠庵)神父と後藤了順と共に長崎奉行より扶持をもらい,通訳および目明しとして働く。長崎市西勝寺には3人が署名した転び証文の写しがある。晩年には背教を取り消し,信仰を取り戻したといわれる。<参考文献>高瀬弘一郎「転び伴天連トマス・アラキ」(『史学』48巻4号)
(宮崎賢太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報