日本歴史地名大系 「荒瀬井手」の解説 荒瀬井手あらせいで 大分県:下毛郡本耶馬渓町樋田村荒瀬井手[現在地名]本耶馬渓町樋田青(あお)の洞門の下流約二〇〇メートルで取水する用水堰。貝原益軒の「豊国紀行」に「是貞享三年十月に始り、三年をへて成れり。岩を切通せし所、六百三十間、溝の長さ三里十弐町余(中略)下毛郡中及、宇佐郡へも此いでの水かゝる。五里ばかり下の新田にそゝぎ、又畑を水田にせんが為とかや」とある。今津教武記書(荒瀬井手管理組合蔵)には「時之郡代片桐九太夫、数度有樋田井堰場及ヒ水道之険阻ヲ巡見ス、其後水掛リ田数凡百余町ト積リ歎願数度ニ及ヒ、貞享二子年初而其普請ニ取掛リ元禄四年末漸々井堰水道共ニ成就セリ、其八ケ年間、教武之苦心タトエルニモノナシ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報