荒隈城跡
あらわいじようあと
[現在地名]松江市国屋町・南平台
宍道湖北岸に所在した戦国末期の山城。「懐橘談」などに荒隈と記され、洗骸城・洗合城とも書く。永禄六年(一五六三)毛利元就は尼子氏討滅のための前線基地として洗合山にこの陣城を築いた。標高五〇メートル前後の複数の尾根上に郭がつくられている。東端は国屋町の天倫寺あたり、南は急斜面で湖岸に迫り、東西約一キロ、幅五〇〇メートルの広大な城地を有する。西半部については、昭和四二年(一九六七)の県文化財愛護協会による発掘調査によって尾根頂部四ヵ所で掘立柱建物跡が検出され、簡単な陣小屋の存在したことがわかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 