荘存与
そうそんよ
(1719―1788)
中国、清(しん)代中期の学者で、常州公羊(くよう)学の始祖といわれる。字(あざな)は方耕。江蘇(こうそ)省武進県(旧、常州府)の人。官は礼部侍郎(れいぶじろう)。代表的著作である『春秋正辞』は、当時隆盛を極めた『左氏伝』を旨とせず、公羊によって孔子の精神を見極めようとした点で注目に値する。彼は訓詁(くんこ)考証学になじまず、経書を注ではなくて本文そのものによって解釈しようと意図している。存与の学は劉逢禄(りゅうほうろく)、宋翔鳳(そうしょうほう)(1777―1860)によって継承された。著作は『味経斎遺書』に収められている。
[石黒宣俊 2016年3月18日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
荘存与
そうそんよ
Zhuang Cun-yu
[生]康煕58(1719)
[没]乾隆53(1788)
中国,清代公羊 (くよう) 学派の始祖。江蘇省武進の人。字は方耕。号は養恬。乾隆 10 (1745) 年の進士。礼部侍郎,内閣大学士に累進。経学に詳しく,その学風は注釈,訓詁学を排し,経書の本旨を究明することを第一義とした。代表的著作に『春秋正辞』 (13巻) がある。
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世界大百科事典(旧版)内の荘存与の言及
【今文学】より
… ところが清代の中ごろ,内憂外患のために清朝の政治体制が動揺しはじめると,現実に目をそむけていた考証学的学風に飽き足らず,通経致用,すなわち経学を政治の実際に用いようとする学者が常州(江蘇省)を中心に現れた。まず荘存与(1719‐88)が《春秋正辞》で孔子の〈微言大義〉を求め,ついで劉逢禄が《公羊何氏釈例》で何休の張三世説(衰乱,升平,太平という歴史発展説)を彰揚し,《左氏春秋考証》で,《春秋左氏伝》は劉歆の偽作だと論じた。さらに龔自珍(きようじちん),魏源は通経致用を鼓吹して今文学を政治変革の理論とした。…
【公羊学】より
…ところが前漢の末ごろ,劉歆(りゆうきん)が《春秋左氏伝》をはじめ古文経書を重んじ,王莽(おうもう)が政権をにぎって,古文経書を博士官の教科書として以後,公羊学は衰え,後漢時代に何休が《春秋公羊伝解詁》を著したものの,学界では訓詁を重んずる古文学が主流となった。 その後,清代中ごろに至り,まず常州(江蘇省)の荘存与(1719‐88)が《春秋公羊伝》を顕彰し,ついで劉逢禄が何休の公羊学を重んじ《左氏伝》は劉歆の偽作だと指摘し,さらに龔自珍(きようじちん),魏源は,現実を遊離した考証学的学風を批判し,当面の崩壊しつつある王朝体制を救うために,何休の公羊学にもとづいて〈変〉の観念を強調した。しかし,公羊学を最も重んじて政治変革の理論的根拠としたのは,戊戌(ぼじゆつ)変法(1898)の指導者,康有為である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」