日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉逢禄」の意味・わかりやすい解説
劉逢禄
りゅうほうろく
(1776―1829)
中国、清(しん)代後期の経学者。字(あざな)は申授(しんじゅ)。江蘇(こうそ)省武進県(旧、常卅府)の人。外祖父の荘存与(そうそんよ)、叔父の荘述祖(じゅつそ)(1750―1816)の学風を受け継ぎ、家学としての常州公羊(くよう)学を確立した。従来の公羊学者はかならずしも何休(かきゅう)の注によって『公羊伝』の本文を解釈しようとはしなかったが、劉逢禄は積極的に何休の説を賞揚した。心血をそそいだといわれる『春秋公羊経何氏釈例』は、その代表的著述であり、『春秋公羊何氏解詁箋(かいこせん)』『答難』『発墨守(はつぼくしゅ)評』『穀梁廃疾(こくりょうはいしつ)申何』『論語述何』などもこの立場から著作された。また、『左氏伝』には劉歆(りゅうきん)の加筆が含まれ、『春秋』の真伝ではないと説く『左氏春秋考証』も注目に値する。彼自身は経学者であったが、その学問は龔自珍(きょうじちん)、魏源(ぎげん)などに継承され、清末の思想界に大きな影響を与えた。おもな著作は『劉礼部集』に収められている。
[石黒宣俊 2016年3月18日]