中国の儒学で《春秋公羊伝》をはじめ今文経書(きんぶんけいしよ)を重んずる学問をいう。歴史的には前漢時代と清代後半とに行われたが,特に後者をさす場合が多い。春秋時代の魯国の歴史記録である《春秋》には,その解釈として《公羊伝》《穀梁伝(こくりようでん)》《左氏伝》の3伝があるが,前漢の武帝が董仲舒(とうちゆうじよ)らの献策をいれて儒学を政治原理として用い,博士官を設けて経学の伝授を行ったとき,先秦時代の古文経書ではなくて今文(前漢時代に通用していた隷書)で書かれた経書を教科書とした。また当時の経学は経術とも呼ばれて政治の実際と深く結びついており,ことに《春秋公羊伝》は天下統一の理念を強く示しているために重視され,漢代の春秋学は実際は公羊学を意味していた。ところが前漢の末ごろ,劉歆(りゆうきん)が《春秋左氏伝》をはじめ古文経書を重んじ,王莽(おうもう)が政権をにぎって,古文経書を博士官の教科書として以後,公羊学は衰え,後漢時代に何休が《春秋公羊伝解詁》を著したものの,学界では訓詁を重んずる古文学が主流となった。
その後,清代中ごろに至り,まず常州(江蘇省)の荘存与(1719-88)が《春秋公羊伝》を顕彰し,ついで劉逢禄が何休の公羊学を重んじ《左氏伝》は劉歆の偽作だと指摘し,さらに龔自珍(きようじちん),魏源は,現実を遊離した考証学的学風を批判し,当面の崩壊しつつある王朝体制を救うために,何休の公羊学にもとづいて〈変〉の観念を強調した。しかし,公羊学を最も重んじて政治変革の理論的根拠としたのは,戊戌(ぼじゆつ)変法(1898)の指導者,康有為である。彼は公羊学の三世説を《礼記(らいき)》礼運篇の拠乱世,小康世,大同世に配当し,さらに西欧の社会進化論を結びつけて3段階の歴史発展を考え,立憲君主政体を実現することにより当面の拠乱世から小康世への展開を目ざした。しかし守旧派のクーデタにより変法運動は失敗に終わった。
→今文学
執筆者:坂出 祥伸
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『公羊伝(くようでん)』の解釈学、また『公羊伝』を通して『春秋』に託された孔丘(こうきゅう)(孔子)の根本理念(微言大義(びげんたいぎ))を究明する学問をいう。『春秋』に関する3種の伝のうち、『左氏伝』は古文学、『公羊伝』『穀梁伝(こくりょうでん)』は今文学(きんぶんがく)であるところから、公羊学はつねに今文学対古文学の論争を背景にもち、しばしば今文学と同義に扱われる。また『左氏伝』が歴史的なのに対して、『公羊伝』は理論的なので、公羊学も純理的、思想的な学風となり、『公羊伝』の叙述が簡略なため、公羊学は創造的な拡張解釈を特色とする。『公羊伝』が書物として整理されたのは漢(かん)初のことであり、その研究解釈学ともいうべき公羊学は、前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)に始まる。董仲舒を継承して、漢代公羊学を集大成したのは後漢(ごかん)末の何休(かきゅう)である。公羊学は、(1)左伝学派が周公を尊ぶのに対して、孔子を尊崇する。(2)父子の道を重んじ家族道徳を至上視する。そのほか倫理学的には行為の結果を問題にせずに動機を重んじ、「経に反して然(しか)る後(のち)に善なる」権を肯定し、君父の仇(あだ)は「百世といえども討つべし」と復讐(ふくしゅう)を強調し、「国じゅう人びと喜ぶ」ならば武力革命をも是認し、さらには侠気(きょうき)の礼賛、文実の二元論など、注目すべき主張が多い。清(しん)朝に至ってアヘン戦争(1840~42)以後、公羊学は学問研究の対象として、また変革のイデオロギーとして取り上げられ、とりわけ夷狄(いてき)観や復讐論、進歩史観は高く評価された。
[日原利国]
『春秋』の3伝のうち公羊伝を重んずる学問。今文(きんぶん)のテキストによる経学の中心をなす。前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)に始まり,後漢の何休(かきゅう)が主張。のち清末に至り荘存与(そうそんよ),劉逢禄(りゅうほうろく),龔自珍(きょうじちん),魏源(ぎげん),康有為(こうゆうい)らが出て,考証学に代わり思想界に大きな役割を果たした。孔子を革命主義者として把握し,政治的実践を尊び,時代の変化,進歩を認める学説は,戊戌(ぼじゅつ)の変法運動など革新政治の根本理念となった。
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…そしていずれ華夏の世界に同化されるべきものであった。このような考えかたを徹底させたのは春秋公羊学(くようがく)であって,《公羊伝》注釈家の後漢の何休は,自国以外は華夏の諸国といえども疎外する衰乱の世,華夏の諸国と夷狄とを区別する升平の世,華夏と夷狄との区別が消滅して世界がひとつに帰する太平の世,の3段階の歴史の展開を考えた。がんらい《公羊伝》においても,たとえ華夏の諸国であれ,いったん道義性を失ったときには夷狄なみにあつかわれ,華と夷とを峻別する意識はやはり顕著なのであるが,その《公羊伝》から何休のような考えかたが生まれたというのも,華夏と夷狄がすぐれて政治的,文化的な対概念であったからにほかならない。…
…このため,19世紀中葉,国内矛盾が激化し列強の侵略が始まって,清朝の支配体制が動揺し始めると,学問のあり方が深刻に反省されるようになり,再び実践に役立つ学問が追求された。清末の公羊学派は考証学から出発しながらも,公羊学を変革の理論として発展させていったものである。 日本では荻生徂徠や山井鼎にすでに考証学的傾向がみられる。…
…中国,孔子のつくった《春秋》の政治哲学に関する主張。《春秋》には《公羊伝(くようでん)》《穀梁伝》《左氏伝》の3学派があるが,このうち公羊学派のとなえた説で,後漢末に現れて漢代公羊学を集大成した何休によると,〈周を新とし,宋を故とし,春秋を以て新王に当つ。これ一科三旨なり〉すなわち天命が改まって新たに王となる場合,宋(殷)と周の子孫を大国に封じて新王とともに三王とする。…
※「公羊学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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