(1)文字どおりには,訓詁すなわち文字の意味を明らかにすることを目的とする中国の学問の一分科ということだが,後述するように特別のニュアンスをもっていわれることもある。文字の意味を明らかにするといっても,ある漢字の意味を,他の漢字に置き換えるという形で説明することが多く,日本でいう漢字の〈訓(くん)〉と根本は同じことである。しかし,内包,外延すべてまったく同じことばが,一言語の中に二つ以上存在するはずはないから,置き換え方式による意味の説明には当然有効性に限度があり,多くの場合それは,この文脈ではA字をB字に置き換えても,それを含む表現の全体が伝えようとするものに大差が出ないという程度のものであるにすぎない。
ところで文字の意味を明らかにするという作業は,中国の古代にあっては,まず何よりも《五経》,すなわち文明の中心となるべき5種類の古典,《易》《書》《詩》《礼(らい)》《春秋(しゆんじゆう)》の本文を,その最も正しい意味において読み取るという目的につながっていたのであるから,経書の解釈学全体が,訓詁学の業績の総体だということもできるわけだが,実際には,経書解釈学の歴史上,《十三経注疏(じゆうさんぎようちゆうそ)》がいわゆる漢・唐訓詁の学(古注の学)の集大成として,程・朱以後の新注の学問,すなわち宋元理気の学と対比されて〈訓詁学〉と呼ばれることが多い。その場合〈訓詁学〉は,字義の末に拘泥して,大所高所からの視角,人間社会への洞察に裏づけられた自由な発想を欠くというような,非難の意味がこめられていると考えていいであろう。〈訓詁学〉が特別のニュアンスをもってそう呼ばれることがあるといったのはこのことだが,しかし,そうだからといって,宋元理気の学が文字の訓詁を無視して成り立っているわけでもなく,逆に漢・唐訓詁の学が〈人間〉を見ていないわけでもない。遠い古代の書物を読むわけだから,何よりも訓詁の仕事が先行しなければ一歩といえども前に進むことはできないはずで,〈訓詁学〉ということばが新注の学問に対して使われることが少ないというのも,単なる学史上の用語法の問題といっていい。
訓詁学はまた章句の学と呼ばれることがある。これはたとえば漢の王逸の《楚辞章句》という《楚辞》の注釈の一種がそう名づけられているように,古書における文字の連なりの,どこで切れて,どこが続くかを教える,つまり〈読みが下(くだ)る〉ための手ほどきをいうことばであり,したがって初学入門という感じを必然的に伴うものとなる。訓詁学にもそれと同じ感じがあることは否定できないから,訓詁,章句の学と対比してわざわざ宋元理気の学を強調するのも,訓詁,章句の向こう側に真の意味の学問があるという考え方であるということもできるだろう。
(2)訓詁学ということばは,これを狭義に使って,〈字書〉一般のうち,特に《爾雅》《小爾雅》《広雅》《釈名》など,だいたい〈AはBなり〉式の説明で文字の意味をあらわすことを主な仕事としているものを指す書物分類学上の用語とされることがある。その場合,同じく訓詁の作業は含みながら,字形の議論にまで及ぶ《説文解字》などや,意味の説明の仕方はまったく同じでも,作詩に当たっての押韻の基準を示すのをその最も重要な仕事とするため,同じ声調・同じ字音のもの同士を同じ場所にまとめるという形で全体が分類されている発音引きの字書,《広韻》などいわゆる〈韻書〉類などは,訓詁学の書と呼ばれない。
執筆者:尾崎 雄二郎
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中国の古典解釈の学問。訓詁(訓故・故訓とも)は、古言を今語(きんご)で訓釈する意で、秦漢(しんかん)期に文献の形で定着した古代典籍に、内容解釈の目的で施された注釈とその方法をさす。
経学(けいがく)(経書解釈学)の発展に伴い、字句の意味を研究する学問が栄え、『爾雅(じが)』『方言』『説文(せつもん)解字』などがその先駆的業績であり、後漢(ごかん)から隋(ずい)唐にわたる集解(しっかい)・音義(おんぎ)・義疏(ぎしょ)と称される注釈群の膨大な集積が、『経典釈文(しゃくもん)』『五経(ごきょう)正義』や正史・諸子の注釈類や『文選(もんぜん)』の注などの形で伝存している。
宋(そう)代以降は、字音研究が発達し、漢字の3要素(形・音・義)が自覚的に究明され、清(しん)代小学(古代言語学)では段玉裁(だんぎょくさい)・王念孫(ねんそん)や揚州(ようしゅう)学派によって、字音と字義の相関関係が追究されて、朱駿声(しゅしゅんせい)の『説文通訓定声(ていせい)』にその成果が総合され、『経籍籑詁(けいせきせんこ)』とあわせて漢語意味論に影響を与えた。漢語に固有の同音仮借・双声畳韻(じょういん)・陰陽対転・連文(複合語)の諸現象を論究するために、いまなお不可欠の分野となっている。
[戸川芳郎]
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中国の文字解釈学。一般には経書の字句解釈を主とする漢・唐の儒学を,宋・明の理義の学に対して呼ぶ。これは後漢の馬融(ばゆう),鄭玄(ていげん)らの優れた文献学者によって開拓され,唐代の顔師古(がんしこ),孔穎達(こうえいたつ)らの注疏学(ちゅうそがく)によって大成された。清代には訓詁学は小学(文字,音韻学)とともに考証学の重要な一分野として発達した。
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