隋代に初めて科挙を設けてから唐代までは,進士は他の秀才,明経などとともに科目の一つに数えられたが,宋中期以後,科挙は進士1科だけとなり,進士科が科挙を代表することになった。ただし宋以後の進士科は詩賦のうえに,経義,策論をも試されるので,実質的には在来の明経,秀才の科をすべて包含したことになる。唐代の進士科には中央の学校の生徒と,各州が試験したうえで推薦した郷貢の進士とが応ずることができ,これらに対して中央政府が行う試験を貢挙,または省試と称した。貢挙は初め吏部のつかさどるところであったのを,のちに礼部の所管に改めたのは,それが就職試験ではなくて,資格試験であったからである。貢挙に合格すれば,進士及第を賜り,終生の栄誉の称号となるが,ただし実際に官吏に就職するためには,さらに吏部が行う銓試(せんし)を受けなければならなかった。銓試は身言書判といって,容貌,言語,書跡および判決文の作成力を試すが,ここに六朝時代の貴族制度のなごりが見られ,たとえば韓愈のような背景を持たない俊才は,しばしばこの関門でしめ出された。このような弊害をなくすため,宋の太祖は貢挙の後に,天子みずから宮中で行う殿試を加え,天子の定めた序列によって進士を合格させた。これによって吏部の銓試は,有名無実となり,進士の任官,官位昇進の遅速は,もっぱら殿試成績の序列に左右されることとなった。成績はまず第一甲,第二甲,第三甲それぞれ若干名に分けられ,第一甲の首は状元,次の2名を榜眼(ぼうがん)と称したが,のちに榜眼の次席者を探花と呼ぶようになった。実は探花とは唐代の風習で最年少の進士2人が長安城中の名花を探して報告を行った故事に由来する。
唐代には郷貢進士も進士及第者も通じて進士と呼ばれたが,宋以後は殿試に合格してはじめて進士であった。下って清朝の末期となり,新教育を奨励するため,国立大学の卒業生および海外留学生に対し特別の試験を行い,科挙とは関係なく進士の学位を与えて優遇した。
執筆者:宮崎 市定
古代の律令制下に式部省が行った官人登用試験の一つ。〈しんじ〉ともいう。政治の要務を学習し,《文選(もんぜん)》《爾雅(じが)》が暗読できるとして,大学などから貢挙されたものに,治国の要務についての論題二つを課し,さらに《文選》で7ヵ所,《爾雅》で3ヵ所を3字ずつ板で隠し,その1行を暗読させた。全問合格を甲第,論文が合格して暗読6ヵ所以上のものを乙第とし,それぞれ従八位下,大初位上を授けた。
→考試
執筆者:野村 忠夫
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中国、科挙(かきょ)の科目の一つ。また唐代では貢挙に合格した者、宋(そう)代以降は皇帝自ら行う殿試に合格した者の称号。
[編集部]
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…従来科挙は次代煬帝(ようだい)の大業年間(605‐618)に創始されたと考えられてきたが,これは誤りである。
[変遷]
唐は隋制を受け,科挙に秀才,進士,明経,明法その他の科目を設けた。秀才には政治上の意見などを問う策論を課するが,採点が厳しすぎて合格者がなくなり廃止された。…
…すなわち,教科内容は三史(《史記》《漢書》《後漢書》)その他の中国の歴史書や,《文選(もんぜん)》以下の中国の詩文などであり,教官には文章博士2人があたった。文章生は20人で,これを進士と称したが,その中の優秀な者2人を文章得業生とし,これは秀才と称した。また文章生の希望者が多いので,文章生候補者として,擬文章生20人が置かれた。…
…この秀才・明経ともに,上下・中上第は叙位の対象にならなかった。(3)進士は治国の要務を身につけ,《文選(もんぜん)》《爾雅(じが)》を諳読できるものを採る。時務策2条と《文選》《爾雅》を試験して,及第の甲第は従八位下,乙第は大初位上に叙した。…
…鎌倉・室町時代の武家。進士とは,がんらい律令制の大学学生で,式部省が課した試験に合格したものをいう。のち称号となり,さらに氏となる。…
…すなわち,皇帝が試験の及落に最終の決定権をもち,及第者はその恩義に感じ,天子の門生として終生忠誠をつくすことになり,君主独裁制を強化するのに貢献した。また太宗以後は及第者の数が激増し,とくに進士科が重視されて,〈進士及第者にあらずんば美官を得ず〉といわれたように,進士でなければ出世できないことになった。事実,宰相などの高官にのぼった者の大部分がその及第者であった。…
…やがて元の時代をへて明・清時代に入ると,南方優越の形勢は決定的となる。科挙における進士合格者の数,学者芸術家の数,税負担の額,すべて江蘇,浙江を頂点とする南方が圧倒的である。モンゴル民族の征服王朝たる元朝が南人に対して過酷であったことが,かえって南方士大夫の文化を発展させ精彩を与えることとなったという(内藤湖南)。…
※「進士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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